2010年3月アーカイブ

日本人として生きていく

パラグアイ、イグアス日本人移住区を訪ねた。

南米に行ったら、どこか日本人移住区を訪ねたいと思っていた。
地球の反対側に住んでいる同胞が、何を思い、何をしてきたのか。
同胞、この言葉をここに来るまで使ったことはなかった。
同じ故郷を持ち、同じ言葉を話し、同じ何かを信じたことのある人々を表現できる言葉がほかに思い浮かばない。

南米には、世界中から移住者が集まっている。
その中でも、日本人移住区に行きたかった。
それは、私が日本人だという証で、間違いなく日本に帰属意識がある証なのかもしれない。

移民、この言葉には不幸な響きがある。
日本で移民といえば、家族と離れ離れになったり、現地に行ってから風土病が流行って亡くなる人が出たり、作物の根付けが上手くいかなかったりと、大変な苦労や不幸な話ばかりがクローズアップされている。
映画やドラマなどでは、それを乗り越えて成功や幸せを掴むという結末になるのだが、移民=苦労人というイメージが作られていることにかわりはないだろう。
移民=苦労した偉い人、それは一面の真実に違いないが、本当にそれだけなのだろうか。

移住地に来て、移民資料館を訪れた。

未開のジャングルを開拓する苦労を垣間見て、なんて大変なことがあったのだろうと思った。
同じ日本人が、人の生きることの出来ない土地を耕し、現地の人の生活まで潤すことに成功している。
カンボジアの学校を更地に建てるだけでものすごく苦労したのに、森を切り開くことから始まる作業の途方もなさを思うと、目が眩むようだった。
日系2世の女の子が「この土地を作る時の苦労を聞かれたら、木を一本指して、あれを1本切るのってどれくらい大変だと思う」と聞くことにしていると言っていた。
桜の木ほどの太さを想像してくれたらいい。
確かに、そんな木ばかりの土地を畑にするのは、果てしない作業だ。

移民資料館を案内してくれたのは日系3世の男の子だった。
まだ21歳だが、おじいちゃんやおばあちゃんの世代の話まで良く知っていて、とても丁寧に教えてくれた。
移民の歴史は調べればいくらでもわかることなので、ここでは割愛させてもらう。
興味のある人はぜひ、調べてみてほしいし、知って欲しいことがたくさんある。
私が何を一番に言いたいかというと、おじいちゃん、おばあちゃんの若かったころの日本を、私たちの世代がどれだけ知っているかということだ。
彼は、しっかりと記憶を受け継いで、自分のやるべきことをやっている。
日本に住んだことはなくても、日本人の記憶を持ち、日本の言葉を話し、日本人特有の柔らかな優しさを、日本に住む私たちより持っている。

私はここで、みんなと一緒に釣りに行ったり、料理したり、卓球したり、マージャンしたり、なんだか日本と似たような生活をしていた。
そして移住地の人たちが、みんなどこかでつながっている、小さな共同体の一員であることがわかると、なんだかうらやましくなった。
私が住んでいた日本にはもう無くなってしまっていたコミュニティが、ここにはまだ存続していて、みんなが一人を見守っていて、一人がみんなのことを気にかけている。

日本から離れたからこそ、助け合わなくてはいけなかった。
人数が少ないから、関係が薄れることがなかった。
人とまじめに向き合うから、誠実で優しい人間が育った。
こうして、日本よりも日本の持っていた良さを、受け継いでいる。

そう思ったら、悔しくなった。

移民は苦労した偉い人、もちろんそれは変わらない。
でも、私のおじいちゃんやおばあちゃんだって、戦争を生き抜き、戦後貧しい中を苦労して、未来をつないできた偉い人たちだ。
それなのに、若い世代がそういう事実を知らず、年長者との関係が希薄なのが勿体無い。

日本人は、与えられた環境の中で精一杯努力する才能と、人と誠実に付き合っていく優しさを、みんなが等しく持っているはずだ。
パラグアイの日本人が、気づかずとも持っているものを、私たちは失いかけていないだろうか。

私にとって移民は、苦労した偉い人であることは変わらないけれど、苦労した分、優しくなって、やりがいをたくさん持ち、仲間を持つことが出来たうらやましい人たち、という存在になってしまった。

どこにいても、人間は苦労して、努力して、協力し合うことで、幸せを見つける。
パラグアイでも日本でもそれは変わらないことなのだ。

移民というと、特別な存在になってしまうが、彼らは同じ日本人だ。
日本にいることがなくても、日本人らしく強く生きている。
それは、とてもうれしいことだった。
日本の反対側に、自分の仲間がいて、幸せに生きている。

私はここで、日本人の持つ美徳に気づいた。
パラグアイの日本人が、自分と同じ血を持っていることが誇らしく、日本人であるということがうれしいと思うことが出来た。
だから、世界のどこかに生きている日本人が、日本にいる日本人を素晴らしい同胞だと思ってくれるように、私は日本で、日本人として強く生きていきたい。
誰かと共に苦労し、努力し、幸せを見つけて生きたい。

泊まっていた宿のオーナーのお父さんが「俺が帰るといつも同窓会になる。ガキ大将だったからね」と言っていた。
50年前に移住してきたという日系1世のおじいちゃん(見かけも立ち振る舞いもとても若いので、この呼び方は失礼かもしれません。ごめんなさい)が、まだ日本とつながっているということはうれしかった。
おじいちゃんが、まだ日本のことを思っていてくれることも、日本にいるおじいちゃんの友達が、50年間離れていてもずっと友達を忘れずにいることもうれしかった。

日本は間違いなく温かい国だ。

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