2008年5月アーカイブ

 ネパールという国を日本のみんなはどれくらい知っているだろう。
私が知っていたことは、美しい山に囲まれ、豊かな川が流れ、雑貨がかわいいということくらいだった。

私たちがちょうどカトマンドゥにいた時、おそらく歴史的瞬間に立ち会うこととなった。
ネパールは4世紀からはずっと王朝が存在し、国を支配してきた。
その王制が廃止になり、国王が王宮から追い出され、一般市民に戻ることになったのだ。

偶然だけれど、ネパールを通して何かを考えるチャンスを誰かがくれたんだと思う。
すごい機会だ、どうしよう、自分のことではないけれど、これから何が起きるのか緊張してしまう。

ネパールの人はいったいこのことをどう感じているんだろう。
今までと全く違う時代がネパールにおとずれるのだろうか・・・・・・・。

ネパールのニュースによると、国民のほとんどが支持する形で、ついに王制廃止が27日に正式決定した。

この日町に出ると、王制廃止に期待している国民は首都カトマンドゥで盛大な行進をしていて、道路は渋滞の大騒ぎ。
ほとんどの店が休みになり、町中がお祭り騒ぎで、旅行者の目から見てもみんなが浮き足だっていた。
共産主義毛沢東派の旗??なのだと思うけれど、赤い旗で道路は埋まり、大勢の人が歩道橋の上からパレードを眺めていた。
みんなパレードを見る目が真剣・・・・・・。
中には突然大声で叫ぶ人もいる。
私たちは圧倒されながらもその光景を眺めていた。

どうか、こんなに喜んでいる彼らにいい時代が来ますように・・・・・・!!


さて、いきなり王制廃止のニュースだけを知った私たちはどうしてこんなことが起こるのかがとても不思議だった。

なので簡単にネパールの最近の歴史を調べてみた(地球の歩き方参考)。
ちょっと難しい・・・・・・。
できるだけ簡単に書いてみようと試みるので、許してください。

ネパールでは1951年、トリブヴァン王の王政復古で政党政治が始まった(この前まで王ではない独裁政権が存在していた)が、政権が安定しなかった。
日本の明治維新に似たものと考えてもらえたらわかりやすいかもしれない。

政党政治がうまくいかなかったので、1960年にマヘンドラ国王がクーデターを起こして全権を掌握、国王親政によるパンチャーヤット体制が始まった。

前国王のビレンドラ国王もこの体制を継承したが、1979年全国規模の反政府運動が起こる。

世界では当時、民主主義が叫ばれ、ネパールの人も自分達の権利を主張し始めたのだ。

その流れを受けた1980年の国民投票により、直接選挙の導入と言う改革を加えることとなった。
この時点では、パンチャーヤット体制はかろうじて存続することになる。


その流れはだんだんと広がってゆき、1989年、ついにネパール会議派と共産党はこの体制打倒のため共闘を組み、市民を巻き込んだ民主化運動が始まった。
ソ連崩壊もこの運動を後押しした。

1990年、ビレンドラ国王はパンチャーヤット体制を廃止し、議会制民主主義の実現を約束、新憲法が発布されて、主権在民が明記され、ネパールが多民族国家であることが公に認められた。

しかし、その後も政権はなかなか安定せず、ビレンドラ国王の後をついだ弟のギャネンドラ国王は2002年に議会を解散して事実上の直接統治を開始する。

2005年にはネパール軍をバックにクーデターを行ない、首相を解任してみずから全権を掌握。
緊急事態例を発令し、基本的人権の制限、報道に対する検閲を実施した。
多くのネパールの人の証言によると王はこの時、ろくな政治を行わず、自分の懐肥やしに熱中していたらしい。

もちろん国民も黙っている訳にいかない。
ネパールは世界最貧国の道まっしぐらだ。

国王による独裁に反対する民主主義を求める政党と国王との溝が深まり、反国王支持層は派拡大し、抗議運動は全国に増加の一途を辿った。
この流れを抑えきれず、2006年、国王は議会の復活を宣言し事実上敗北した。
復活した議会は国王の政治や軍事に対する権限を廃止し、ついに今、国王自体を廃止するに至った。

そういうわけで、5月27日、ついに王制廃止の法案が可決されたのだ。

ところがこれを不服とする少数の反対派が、27日と28日に連続してネパールの首都カトマンドゥで爆発テロを起こす騒ぎが起こった。
結局、ネパールの人2人の怪我だけだったというニュースが流れたが、テロという手段で、国の政治を脅かす人がいるということは、これからが大変だと思わざるを得なかった。
テロは民主主義とは反対の道、無関係の弱者を巻き込む可能性もある。
自分にも巻き込まれる可能性があったと思うからではないけれど、絶対に許されることではない。

この日、旅行者の外出は控えるよう呼びかけられていたようだけれど、そんなニュースも届かない安宿にいた私たちは、後からこの話しを聞いてぞ~っとしてしまった。
そういえば、町中に警察と軍隊が鉄砲を抱えて立っていたし、乗っていたバスも何度も止められて、警察が入って何か調べていた。

聞けば納得だけれど、日本に住んでいた私たちは安穏としすぎているのか、その場にいてもまさかそんな事態になっているとは考えもしなかった。
前日、町ではみんなが「王様が出て行くんだ」とにこにこ世間話をするような顔で言っていた。
私たちときたら「ん??なにか行事ごとがあるのかしら?」なんて思っていたのだから、気楽もいいところだ。
文字通り本当に王様がなくなるということを知って、「実は今歴史的瞬間に立ち会ってるんじゃないの?」と気づいた時の驚きときたら・・・・・・!!

さて、そんな国王がみんなにどう思われていたか気になったので、好奇心旺盛な私たちはかなりの人に意見を聞いた。
その結果、ほとんどの人が国王を嫌っていることが分かったのだ。
私たちが今まで見てきた国の中で、国王が嫌いだと言っている国民に初めて出会った。
アジアではタイのような国民みんなが国王の写真を家に飾るくらい慕っている国もあるというのに。
みんなが口に出して嫌いといえるだけ、もしかしたら政治家の悪口も言えないカンボジアより幸せかもしれない(カンボジアは政治家の悪口を言うと本当に殺される)。
けれど、王制なのに国王が全く国民のことを考えてくれない国で生きていくのは、厳しいことに違いない。
日本の私たちには考えられもしない現状だ。

そう、ネパール人の言うところ、ネパールの国王(ギャネンドラ国王)は、国民のことなど全く考えず、私服を肥やすことにしか興味がない。
さらには、国王の家系は法律の枠外にあり、人を殺しても罪を問われないということで、やりたい放題だったのだそうだ。

実際に公になった事件では、国王の息子が車で人を轢き殺したのにもかかわらず、罪にとわれず警察ではなく家に帰ったという。
殺された人の家族から見たら絶対に許されないことだ。
どれだけ嘆いても悲しんでも誰も罪を償ってくれないばかりか、誰からも謝ってもらえない。
喪失感と怒りと悲しみ、それがネパールの現状だった。

そのほかにも、6年前におきた前国王のビレンドラ国王一家全員が射殺され、その直後に死亡した皇太子が犯人とされた事件がある。
この事件についても、実は現国王の陰謀だったと大多数の国民が思っているようだ。

報道に規制がかかっていても、ほとんどの国民がこういう悪質な事件を知っていて、国王に反感を抱いていた。
バックにはネパール共産党毛沢東主義者らの全国規模での抗議運動もあった(彼らのテロまがいの運動は国際的にも有名)。

さて、国民は今回王制を廃止することについて、ネパール共産党毛沢東主義者らに味方をしたが、今後はどうなのだろう。
どう考えているのだろう。

きっと何も変わらないと言う人と、少しはよくなると言う人が両方いる。
よく聞いたのは、政治家たちは国民のことをあまり考えてくれないのだという意見である。
王政廃止の立役者である毛沢東主義者「マオイスト」についても、国王を廃止することはいいことだから国民が協力したけれど、次に行うことに賛成するかどうかはまだわからないという意見が多かった。

政治家が国民のことを考えていない具体的な例をあげると、例えば一部地域では、ネパール国民が自国で発電した電気を使うより、インド国民がネパールの電気を使う方が使用料金が安い。
これはインドの政治家に賄賂をもらったネパールの政治家が自国民のことよりも、自分の懐を豊かにすることを優先した結果だ。

その他、ある地域では水の使用権を、国民に黙ったままインドに貸してしまった。
その地域の国民は生活手段である農業が行えなくなり、当然そこで生きていくことができなくなってしまったそうだ。

このように民主主義とは名ばかりの、国民の意思・利益と矛盾した政治が多く行われているということが現状のようである。

じつは今、ネパールはエチオピアと並び世界最貧国とされている。

国民の8割が農村部に住み、国民総生産の4割が農業、経済は低迷を続け、若者を中心にマレーシア、カタール、サウジアラビアなどに出稼ぎに出る人口が急増しているそうだ。
自分の国の産業が育っていないので、せっかく大学で専門的知識を得た若者も働く場所がなく外に出るしかないのだという。
ネパールを代表する観光業も政治の不安定さに足踏みし、1993年に頭打ち減少の傾向にある。

しかし、政治家たちが本当に国民のことを考えた時、この国の経済は必ず良くなると私たちは思う。
ネパールはヒマラヤを始めとした豊かな自然資源に溢れているのだ。
その自然資源の豊富さはスイスに並ぶそうだ。
たしかに首都のカトマンドゥでさえ、見渡す限り山に囲まれている。
観光地であるポカラに豊かな湖が7つも存在し、さらにはヒマラヤを望むことができる。
国立公園があり、動植物の種類もとても多い。
旅行者の目から見てもこの国の資源は本当に豊かだ。
今時、満天の星空を見ていると、蛍がそこに混じってくるなんて風景はそうそうないんじゃないだろうか。
本当に素敵な美しい自然の残る国だと思う。
そんなネパールが世界最貧国なんて、絶対におかしい。

どうしたらこの国が豊かになるのだろうか。
政治の他に大事なことはやはり教育だろう。

今回の旅では、特に環境についての教育が性急に必要だと感じた。
日本でも環境問題の教育についてはまだまだ足りてないけれど、ネパールは死活問題だ。
今、美しい川や山は自然に還らないプラスチックが投棄され続けている。
昔は物を買うと植物性のものに包んで渡されていたのが、今はビニール。
それが自然に還らないということを知らない国民達は、どこにでもゴミを捨ててしまう。
東南アジアでも多く見られたこの実情はせっかくの自然環境を損ねてしまう。
こんな素敵なところに住んでいるのだから、美しい自然と共存できる幸せな社会を作ってもらいたいと思うのは、先進国の私たちのわがままなのだろうか。
いや、観光大国を目指すとしても自然環境は絶対に大切である。

さて、そんなネパールの教育事情はと言うと、山村では学校に行けない子ども達が多い。
貧富の格差により、通える学校のレベル(公立、私立の相違)が変わるそうだ。

ただし現在、各国のNGOの支援で学校に行ける子ども達は増え続けている。

ネパールが発展する為には、教育を通し、国民に民主主義とは全員が幸せになるための仕組みであることを伝え、環境の大切さを伝え、豊かな自然環境の活かし方を伝えていくことが必要だ。

今、私たちには何もできないけれど、この文を通して、誰かがネパールのことを考え行動してくれたらうれしいです。
もちろん、私たちに将来できる事があったら協力したいと思います。
ネパールは再利用などの技術も求めているので、もしこの文を読んでいる方に協力可能な方がいらっしゃったら連絡ください。
ネパールの高校でボランティアの講師を募集しています。

今回、このお話を詳しく話してくれたポカラにあるペンショントゥシタのオーナーは環境保全・環境教育に取り組んでいる日本語の読み書きのできるネパール人です。
彼のエコファームのホームページです。
http://www.ecofarmnepal.com
興味のある方は見てください。


さて、ここまで書いたけれど、私たちはネパールが大好き。
山も湖も森も美しくて、どことなく日本の風景に似ている。
もしかしたらこういう風景が日本にもあるからこそ、美しく感じるのかもしれない。
温厚な人々が多く、自然の中で生活しているからか笑顔も朗らかだ。
たくさんの民族がいて、カーストもまだ残る社会だけれど、だからこそ残っている伝統や礼儀がある。
旧王宮やネパールの寺院の形も情緒たっぷりで、なんだか懐かしい気分に浸れる。
民家の窓枠の彫刻にも素晴らしいものがたくさんあった。
文化も独自に発達していて、音楽はとくに素晴らしく感じた。
サーランギという 木彫の素朴な弓奏楽器の澄んだ音色には、バイオリンよりもうっとりさせられてしまう。
これを聞くだけでもネパールに来る価値はある。
お買い物天国だし、おいしいもの天国でもあるネパール。
これは来てみないと人生ちょっと損である。

日本とネパールは、同じ仏教国家ながらも全く違う経過を辿った国、ここで自分の国のことを考えるのもいいし、ネパールの今後に思いを馳せてもいいのではないだろうか。

観光にみんなが来るだけで、この国はちょっとずつ潤っていきます。

死に逝く町 バナーラス

インドに来て2ヶ月、やっと着いたバナーラス。
やっと着いたガンジス川。
とりあえずガンガー(ガンジス河の英語名)を見ずにインドは語れまい。
ガンジス川でバタフライせずに、たかのてるこファンは語れまい。

ヒマーラヤの水を集めたガンガーは悠々と平原を流れ、3000年以上の歴史を持つヒンドゥー教最大の聖地、シヴァ神の聖都バナーラスを作った。
ヒンドゥーの聖地であるガンガーはそれ自体が女神とされ、母なるガンガー様として崇められている。
ヒンドゥーの信仰によると、ガンガーの聖なる水で沐浴すると、すべての罪は浄化され、ここで死に遺灰がガンガーに流されれば、輪廻から解脱を得るという。

もちろんプリーで会った女の子に、肛門から虫が入って入院した話しも聞いていた。
もちろんプリーで会った男の人にコンドームをかぶせないで川を泳ぐと先端から虫が入り、睾丸が腫れるとも聞いていた。
もちろんプリーーで会った男の子に目にばい菌が入り、一週間眼球注射を打ち続けたという話しも聞いていた。

ガンガーどんな恐ろしいところなんだろう。

怖さと同時にたまらない好奇心もあるわけです。
長距離旅行者は、入っちゃいけない聖なる河。
日本に直帰できる人は、日本で治療できるから入ってもいいというとんどもない河。
日本に腸チフスや肝炎を持ち帰ってしまうと言う噂は数知れず、8割の人がなんらかの体調異常を起こすらしい。


・・・・・・。


無理してでも河に入った方がいいんだろうか。

とりあえずガンガー沿い歩いてみようかな~。

それにしても、ヒンドゥー教でもないのに観光気分で河に入るなんて、ヒンドゥー教徒にちょっと失礼なんじゃないかしら、それともこれは私たちがびびってるから言い訳を考えてるのかしら、なんて二人で話しながらぶつかったのは、火葬場だった。

この河で最後を迎えることはヒンドゥー教徒にとっては最高の幸福とされ、年間100万人を超える巡礼が訪れ、中には死ぬことを目的に来る人もいる。
そんな河の火葬場だから、一日中煙が途絶えることはない。
聞いたところ火葬場では1日約300体の遺体が焼かれるそうで、一人燃やすのに3時間かかるそうだ。
死者がガンジスの水に浸され、火葬の薪の上に載せられると、喪主が火をつける。
喪主は夫が亡くなったら妻がつとめるように、一番近い親族が務めることになる。
最愛の人が亡くなり、本当に最後の大事な役目を託される。
火をつける人の気持ちはどんななのだろう・・・・・・。
輪廻の輪から抜けると言うのだから、あの世でずっと一緒になれると信じて薪を燃やすのかもしれない。

ふと、そう信じて死に往く人たちも死を見送る人も幸せかもしれないなぁと思った。
私たちにはわかりにくい感覚かもしれないけれど、彼らにとっては死は新たなる生なのだ。
彼らは母なるガンガーに身をゆだねる安堵感に浸り、死んで母に抱かれてヒマーラヤに帰っていく。

インド、ここでの生の濃さを思わずにはいられない。
この雑踏を生き抜くにはかなりの体力がいる。
インドに来たら誰もが、膨大な人のエネルギーを感じるはずだ。
ここで、生きるのは大変な場合が多い。

今、運ばれてきた遺体に火が付けられた。
たくさんの親族が遺体を囲む中、それはおごそかにゆっくりと燃え始めた。
インドに死には、生が躍動した分だけの特別な静寂が必要だと思う。
燃える遺体を見て、なんだか息がつまる。

他の場所で遺灰は、ガンガーにゆっくりと流され、ずっと安らかになっていくのが見える。
帰っていく。
ガンガーはインドの命の源なのだ。
ずっしりとそう感じた。

子どもの場合は荼毘に付されず、石の重石をつけて河に沈めるらしい。
かれらはまだ人生を経験していないからだそうだ。
だから、ガンジス河にはよく子どもの遺体が浮いている。

私たちが思うよりずっと、ここはインドの心の拠り所なんだなぁ。

火葬場を見た後、さすがにそのノリで河に足を浸すこともできなかった。

決して、臆病風に吹かれたわけではないことを言っておこう。
決して。決して。決して。

もちろん、病気にはなりたくない。

でも一番の理由、ここは聖なる河なのだ。
私たちにではなくヒンドゥー教徒にとっての。

昼間行った河に夜も顔を出してみると、そこでは何かの祭典が行われていた。
子どもも大人も大勢の人が音楽を楽しみながら、船の明かりを照らし返し、ゆっくりたゆたうガンガーを眺めていた。


生きることも死ぬこともこの河はずっと見ているんだ。

温かさバトン

世界はあったかい。

私も人に温かさを伝えてあげられる人間になろう。

インドを旅していて、私にとって一番良かったことは病気になったことかもしれない。
おかげでカマラのような人がいることに気づくことが出来たから。

カマラとその家族に出会えたことは、インドでの生活の一番大きな喜びになった。

出会ったのはたった4日前。
コミュニケーションも片言の英語で、辞書を引きながらの会話しか成り立たないから、きっとお互いやきもきしたはず。
最初の1日は家に招待してくれて、一緒にご飯を食べさせてもらい、みんなで海に行って砂まみれで遊んだ。
それから3日は日本語の授業を、1日1時間30分だけさせてもらっていた。
プリーにいる期間はずっと日本語の授業をする約束をしていたのに、私は病院行きになった。
カマラはそれだけと言ってしまえばおしまいの関係をとても大切にしてくれた。

日本語の授業をさせてもらうことになった時、カマラは「いくらですか?」と私達に聞いた。
私達はプロじゃないし、ご飯もごちそうになっているし、お金なんてとてもいただけない。
「いりません。友達です」と答えた私達に、カマラは素敵な笑顔を見せてくれた。

素敵な笑顔のまま、私の病気が一番ひどい状態の時に、横で励まし続けてくれた。
何かしてもらうたびに私がお礼を言うと「心配しないで、体のことだけを考えて。それが一番大切なこと」と言ってくれた。
頭痛がひどいと、頭をマッサージしてくれて、手足が冷えるとさすってくれた。
夜中になっても家に帰らず、病院まで連れて行ってくれた。
私が家に行くことになると、仕事を休んで看病してくれた。
薬を飲ませたてくれたり、体を拭いてくれたり、ご飯を用意してくれたりと家族のように私に接してくれた。
人がとても温かくてありがたいものだということを心底感じた。

私が病気になると、お母さんはいつも優しくて温かかった。
カマラはなんだかお母さんみたいで、側にいてくれると安心できた。

家族が病気の時に優しさと温かさをくれることだって、特別で恵まれていることに違いない。
私は家族に甘えてついそれを見逃してしまいがちになるけれど、それだって途方もなくありがたいことだ。
そう、とてもとても温かいこと。
有希が病気になったら、きっと私は家族からもらってきた特別な温度を伝えたいと思う。

でもね、今度のことでちょっと考えが変わったよ。
外国でたまたま出会った旅行者に、どこまでのことが自分に出来るのかって考えさせられた。

家族ではない私に、家族の優しさと温かさをくれる人が世の中にいる。
私もそうなれたら素敵だなぁ。

ふと、マザーテレサの言葉を思い出す。
「最も悲惨なことは、飢餓でも病気でもありません。自分が誰からも見捨てられると感じることです」
本当にそうだと思う。

自分のつらい時、誰からも見捨てられてしまったら、きっと生きる気力を失ってしまう。
だから自分のつらい時、与えてもらった温かさは、絶対に忘れずに伝えて生きたいものだよね。
そうしたら、見捨てられる人なんてどんどんいなくなって、きっと世界には温かさが溢れだすんだ。

そろそろ温かさを伝える番が回ってきてるんじゃない?

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