死を待つ人の家

マザーハウスで一番有名な場所、カーリーガート。別名「死を待つ人の家」
俺はここでお世話になった。
その名の通り、ここは死を待つ人の部屋。
難病を患わせた人や、病院に見捨てられた人、また道端で息絶えそうだった人をここで介護している。

どんなところなのかは行くまで全く想像がつかなかった。俺みたいな人間がいきなり行って、その光景に耐えることができるのだろうかが不安だった。そんな場所で自分が何の役に立てるのかが不安だった。
それでもマザーテレサは「Come and See」と言って迎えてくれる。
俺はその言葉に甘え、こんな俺でも何かが出来ると信じ、ここへの参加を決意した。

とは言え、やはりその門をくぐるまで、俺の頭は不安でいっぱいだった。

その日の朝、マザーハウスでのミサが終わり、朝食を食べた後、カーリーガートへ向かう。

そこまでの道のりは、ごく普通のインドの風景と何ら変わりはなかったと思うが、俺の目には何となく違って見えた。
普段はうるさいインド人も何故かこの道のりでは誰も声をかけてこない。
自分で決意して参加したとは言え、このときばかりはうるさいインド人に気を紛らわせて欲しかった。

その願いも叶わず、俺は不安を隠しきれないまま静かにその門をくぐる。
シスターに一礼をし、奥へと入っていく。
そこには約50のベットが広がり、たくさんの人達が横たわっていた。奥には女性用のベットが並んでいるらしかったが、ここからは見えない。
見える位置に寝ているのは男性の姿ばかりだった。

でも、俺は彼らの姿を見て少し救われた。気持ちが落ち着いた。
なぜなら、そこには笑顔があったから。
皆、自分がここでどうなっていくかを知っているのに、そんなことを感じさせないぐらい元気そうな人もいる。
中には、ボールをボンボン投げて遊んでいる人の姿も見えた。
もちろん、ここに運ばれて来ている以上は、皆なんらかの病にかかっている患者が全てだし、いくら元気そうに見えたからと言って、気持ちを緩めることはできない。
ただ、あまり構えすぎず普通に接すればいいんだとこのとき初めて思えた。

最初の仕事は、食器洗いと洗濯。
次から次へと運ばれてくる洗物を流れ作業で洗っていく。
この持ち場は、裏の仕事なので直接患者とは接しない。他のボランティアと話しをしながら特に患者のことを意識することなく働くことができる。
何となく仕事の要領も掴み、他のボランティアと溶け込めてきた頃、俺の後ろを一つのタンカーが横切るのが目に入った。そこには全身を真っ白な布で覆われた人が横たわっている。その人がどうなってしまったのかは一目瞭然。

「昨日は何人死んだ?」

「一人だけだ。」

という誰かの会話もこのときに聞こえた。おそらくここでは普通の会話なんだろうが、その衝撃は大きくて言葉にならない。他の日本人のボランティアもいたが、この話題には触れることができなかった。

洗物が終わると、いよいよ患者と接する。

このとき初めて、患者達の様子をじっくりと見ることが出来た。
点滴や呼吸器を付けながらゼーゼーと苦しそうな呼吸をするおじいちゃん。
一見元気そうだが、体中にわけの分からない腫瘍がある人。
中には小学生ぐらいの男の子の姿もある。
この人達のほとんどが、ここで死を待っているという現実がとても信じられない。

俺は彼らの一人一人に「ナマステー」と挨拶をしながらベットの間を歩いていった。
その途中、少年からボールがまわってきたとき「おー!」っとオーバーリアクションでそのボールを受け取り、投げ返してやるとケラッケラと笑ったその顔が愛らしかった。

途中途中で、患者に声をかけられ、「水を持ってきてくれ」と頼まれたり、時間を聞かれたり、「昼ご飯何?」と聞かれたりした。ちょっとやんちゃな患者は「お願いだからタバコを一本くれ」とせがんできたが、笑って断るしかない。
本当はタバコの一本ぐらい吸わせてあげたい気持ちもあるんだけど、そういうわけにもいかず、心の中で「ごめん!」と言った。

あるおじいちゃんに足のマッサージを頼まれた。
と言っても、そのおじいちゃんは口に管が入っておりあまり喋ることが出来ずにいたため、隣の患者が俺にそう代弁をした。
もちろん喜んで引き受けた。その太ももに手を当てると、それは女性の手ほどの太さしかない。
足が痛むらしい。でも、この痩せ細った肉のない足をどう揉んであげたらいいのかが分からず躊躇したが、たまたま通りかかったシスターに「軽く摘んで、撫でてあげて」という支持をもらい、それを実行した。

マッサージをしている間、おじいちゃんからは特に反応がなく、ただ「ゼーゼー」と息をしている。
言葉も通じているかがわからない。それでも終始話しかけながら彼の表情を少しでも読み取ろうと努力した。
どれだけ時間がたったのか性格にはわからないけれど、おそらく15分後ぐらいたったとき、隣の患者さんが「もういいよ。ありがとう。」と言ってくれたので手を止めた。
このとき、「ゼーゼー」言っていたおじいちゃんが、少しニコッとして軽く頷いてくれたのが嬉しかった。


俺達がここを訪問したとき、インドはホーリーというお祭りの時期と重なった。
そのため一般のボランティアはお休みになり、マザーハウスには2日間しか行けなかったけれど、この2日という短い時間に3人が亡くなった。

ただ、インドという国は、そこら辺の路上で孤独と戦いながら生活していている貧しい人がたくさんいる。その中には、誰にも気が付かれずに死んでいく人がたくさんいる。
それを考えると、もしかしたらカーリーガートで息を引き取ることは、彼らにとってはまだ幸せなことなのかもしれない・・・。

 

インドでは間違いなく日本よりも「死」との接点が大きい。それがここカーリーガートならなおさらだろう。
日本で育った俺にとっては、有り得ない場所だった。
ここで感じた感情や、学んだことは本当に大きい。

何年か前に友人が亡くなったとき、その通夜で何だか凄くパワーをもらったのを思い出す。
人が亡くなるのは本当に辛いことだけど、その人の分まで生きようと思える。
また、その通夜では久しい友人との再会なんかもあり、「天国で彼が俺達をまためぐり合わせてくれたんだー」なんてことを話したのを思い出した。
そういう再会や、彼らとの会話の中で「俺も一生懸命生きなきゃ!」と思い直させてくれることがある。
人が亡くなってしまうという最悪の事態で唯一救われる感情だと思う。

今回も、ここカーリーガートで同じようなことを思った。「死」と直面できたからこそ「生」を考え直せた。

こんなことってなかなか考えないことだけど、考えなきゃいけないことだと思う。

いったい日本ではどれだけの人が本当に一生懸命生きてるだろう?

「別にてきとーに生きてても、誰にも迷惑をかけてなければいいや」って思う人もたくさんいるだろうけど、それは絶対に間違ってる。

俺は日本で生まれて日本で育った。それは本当に幸せなこと。

もしも俺がこのまま死んでしまっても、多くの人が見守ってくれるだろう。それは本当にありがたいこと。

そのとき、それが一人でも多くのパワーになるように生きていきたい。