1975年から3年8か月20日間のポルポト時代、国民は強制的に農民にされ、田んぼや畑で働かなければならなかった。ポルポト時代には人口の30%200万人くらいの人が死んだといわれている。
前の政権で働いていた人、医師、外国語が話せる人、教師等の知識人は全員殺された。
また眼鏡をかけている人も知識人とされ、殺された。
さらにはソフトハンドと呼ばれた人(手が柔らかい人は農民ではなく知識人だと思われた)も殺された。
なぜか?
知識を持った人間を生かしておくと、あとで復讐される恐れがある。
それを恐れたポルポトは、知識人や裏切り者のどちらか少しでも疑いのある人間を生かしておかなかった。
完璧な共産主義を目指した。
その、死刑場に使われたのがここキリングフィールド。
1979年、ベトナム軍がプノンペンに侵攻し、戦争でポルポトが敗れた後、たくさんの人が田舎からプノンペンに戻ってきた。
プノンペン中心から15キロくらい離れた「チュン・エク」(中国人のお墓)に戻ってきた人たちは、死体の匂いに気づき、そこで無数の死体に気が付いた。
1980年、新しい政府はこのキリングフィールドの穴を掘り始め、今までに86個の穴が掘られ8985体の骨が見つかっている。
しかし、これらは全てではなく、あと43個の穴が湖の下に眠っている。そこにはまだ1万人以上の遺体が眠っているとされているが、湖に埋まってしまった穴は掘り起こすのに莫大な金がかかるため、未だにできないでいる。
穴からは今でも、雨になると犠牲者の骨や服が出てくるらしい。
しかし、毎年たくさん雨が降るせいで、キリングフィールドの穴は次第に小さくなり、たくさんの穴が湖に沈み、将来、この穴は全て無くなってしまうかもしれないといわれている。
そのまま埋まってしまう1万人分の骨の中に魂が残っていたら、自分たちがそこに埋まり続けることをどう思うだろう。
キリングフィールドでは2万人の人が殺されたと推定されているが、そのうちのほとんどがトゥールスレンの囚人で、その他の人はプノンペンに住んでいた知識人たちだった。
トゥールスレンについては前の日記を参照してほしい。
彼らのほとんどは田舎に住み、あまり教育を受けたこともない無実の人たち。しかし彼らは理不尽な疑いをかけられ、拷問されて殺される。
また、トゥールスレンの拷問スタッフ、またキリングフィールドで処刑をしていたスタッフ達は、仕事をしなければ殺されてしまうため、友達でも、家族でも殺さなければならなかった。
もし働かなければ、裏切り者とされ、自分が拷問をされてしまう。自分が処刑されてしまう。
ここで働いていたスタッフ達も歴史の犠牲者だ。
キリングフィールドの場所は当時隠されており、「秘密を守ること」が一番大切だったため、処刑は夜に行われた。
たくさんの囚人を一度に処刑することはできなかったため、囚人たちは目隠しをされ足枷をつけられ「死を待つ部屋」で自分の順番を待たされた。
彼らは自分が処刑されることを知っていたという。
キリングフィールドから生き残った人は一人もいない。
処刑の方法には、頭を木の棒で叩いて殺す方法、刃物で刺して殺す方法、ヤシの木の枝のとげで喉を刺して殺す方法、首つり、子どもの足を持って木に打ち付けて殺す方法などがあった。
また、スレンという毒薬の致死量を調べるための人体実験もしていた。
いずれにせよ、お金がかからず、音が出ない方法での処刑で、銃の使用はなかった。
銃を使わないのは、音が出て秘密がばれる可能性があることと、銃の玉の値段が高いためだ。
昔は秘密の場所だったこの場所も、今では当時の様子を観光地としてはっきり残している。
生きた子どもを打ち付けた「キリングツリー」や首つりを行った太い木もそのまま残っている。
今、私達がこの場所に立つ意味とは、この歴史を繰り返さないことを誓うためである。
慰霊塔に眠る頭蓋骨には斧や棒で処刑されたことを物語る傷があるものが多く、歯が未だに残っているため、記憶は新しいものとして生々しい。たった30年前の事実。
しかし、この凄惨な歴史を、今の若いカンボジア人はあまり知らないのだそうだ。
現在のカンボジア人でも親籍が全員無事にポルポト時代を生き延びたという一家は数少ない。
それなのにポルポトのことを伝えられない理由は、今でもポルポトの勢力が残っている可能性におびえているからだという。
今の王様も以前にポルポトと繋がっていたことがあるため、学校でも教師が怖がって、ポルポトのことを子どもに伝えることができないそうだ。
強制的に搾取されるということは、人の心に恐怖を生み、正義の心や反抗する心を摘み取ってしまうのだろうか。
カンボジアの人々はまだポルポト時代の傷を抱えて生きている。
精神的な面だけでなく、ポルポト時代に学習の機会を奪われたカンボジア人の識字率は低く、そのせいで経済発展に歯止めがかかっているとも言われている。
また、田舎で暮らす人々は子どもに知識を持たせることを今でも恐れ、子どもを学校に行かせないという事実もある。
ポルポトの歴史をカンボジアの人たちが忘れずに、前へ進んで行くことができるよう祈ります。
私達は信じています。
だって、フリースクールの子ども達は、毎日元気いっぱいで私たちに笑顔をくれるから。

