カンボジアのごみ山ステメンチャイ

ゴミ山は首都プノンペンの中心地から5キロほど離れたゴミ集積所で、ここにはプノンペン中のゴミが収集車で回収され、集まっては積み上げられ、山のような外観になっている。
プノンペンにはゴミ焼却施設も、埋没地もないそうだ。

ゴミ山に近づくと、白い煙があちこちで上がっていて、そのうち白い煙で3メートル先も見えないようになってしまった。
ゴミの匂いも煙に混じり、強烈に鼻をつく。
物の燃える匂いだけではなく、生ゴミの酸っぱい匂いも混ざり、目にも染み、私は持っていたタオルで顔を覆いながらゴミの上を歩いていた。
鉄板を敷いて作った道もゴミに溢れ、ゴミ意外に足場はない。

私「この白い煙は何ですか??」

ソレン「カンボジアは暑いです。ゴミが自然に燃えます。」

ゴミが自然発火する。
確かに日差しは肌を焼くほどに熱く、日中は35度を超えることもしばしば・・・・・・。
これはとっても危ないことだ。
見渡す限りのゴミに、分別された様子はない。
生ゴミも、可燃ゴミも、金属もプラスチックもそこら中に落ちている。
ビニールやプラスチックが燃えるので、煙は絶対に有害だ。
ダイオキシンも大量に発生しているという・・・・・・。

そんな中を大人も小さな子どもたちも、大きな袋を引きずりながら歩いている。
ゴミの中から、金属やペットボトルやプラスチックなどのお金になりそうなものを拾って生活しているそうだ。

裸足の子どももいて、みんな全身が真黒。
足場にはガラスの欠片だってところどころに落ちている。
ゴミの上は足場が悪く、今は乾期だからまだいいものの、雨期は普通の人には歩けたものではないという。
そんな中で働いて、煙や泥で汚れた体を洗う水はどう考えてもない。

怪我をしたって消毒もでないで、放っときぱなしだから、傷跡の痛々しい子がたくさんいる。
火傷跡のような痣だらけの子もたくさんいる。

思った以上の最悪の事態にショックを受けながらさらに先に進むと、ゴミの中に立つ木の家が目に付いた。
よく見ると、今にも倒れそうな木と布で出来た家の中で、家族で御飯を食べている。

私「彼らはここに住んでいるんですか?」

ソレン「そうです。彼らには家がありません。住むところも働くところもありません。」

私「えぇ!!もう少しましなところに行けないんですか??」

ソレン「どこに行くんですか。彼らにはお金がありません。」

こんな鼻の曲がりそうな匂いの中、目に染みる有毒の煙の中で食べるご飯はいったいどんな味がするんだろう。
家の中の小学生くらいの女の子と、その子が抱きかかえている赤ん坊が目に入った。
ここに生まれてくる子もいるんだ・・・・・・。

彼らにはここが家だからそれは当り前のことなのかもしれないけれど、私にはここで暮らすことなど想像もつかないし、ここで成長する子どもがかわいそうで仕方がない。
彼らはそれなりににこにこしているから、多分自分のことをかわいそうなんて思っていないのだろう。
それでもかわいそうだと思うのは、私のエゴかもしれない。
でも、ここに住んでいては体がすぐに蝕まれてしまう。

カンボジアは発展が続き、今は建設ラッシュで景気も上向きだ。
そんな中、こんなにも貧しい人たちが取り残されているのが現状なんだ。
フリースクールにも貧しくて公立の学校に行けない子どもがいる。
それでも、ゴミを漁らずに生活できているだけマシだった。

日本に生まれた私はどうだろう??
こんなひどい現実を今まで知らずに生きてきて、知っても何も出来ない私はなんなのだろう。

どうしてこんなに大量のゴミが出るのかを考えた。
そう考えてみたら、自分の日本での生活に行きあたってしまった。
あぁ、私の生活と一緒なんだ。
カンボジアの人もただ、使い終わったゴミを捨てているだけだ。

日本にもカンボジアのゴミ山の原因があるのではないだろうか。
私たち日本人が大量生産・大量消費・使い捨て社会を作り出し、それは世界中に影響を与え、めぐりに巡って今のカンボジアにつながっている。
私たち日本人の生活の結果が、このゴミ山を生んだのだ。

今日本を始め先進国では、資源が有限であるということや地球温暖化が叫ばれ、環境のことが急にクローズアップされ、リサイクルが一代事業となった。
でもカンボジアはそこまで追い付かない。
環境を学ぶ機会もほとんどない。
道端にゴミを捨てることだって平気なのが現実だ。
経済が発展した分、豊かな一部の人にものが入ってきて、使い捨てが良くないということに気づかないうちに、ゴミは増え続けている。

このゴミ山で生活する誰かが病気になり、怪我をするのには、大量消費を肯定してきた私にも責任がある。
使い捨ては便利、コンビニでもスーパーでもビニール袋をもらう自分が、この現実につながっている。
使い捨ては環境に悪い、割りばしだって森林破壊につながる。
そんな当たり前のことは知っているつもりだったけど、知っているつもりと実際にこの環境で暮らしている人たちを見ることは違った。
大量消費がゴミ山で生活していく人を生みだしている。

そのうち、このゴミ山も日本の夢の島と同じように、埋立地になり、そうしたらこのひどい匂いも消え、この土地も売れるようになるかもしれない。
そうなっても、ゴミを捨てる人たちに、ものを大切にする心を伝え続けなければならない。

私は今、この現実をただ伝えることしかできない。
ゴミ山に暮らす人々を今すぐに助けることはできないけれど、せめて日本で暮らしている人に使い捨て社会ってどうなの??って疑問に思ってもらいたい。
それから、ボランティア先のフリースクールでも環境のことを少しでも考えてもらえるようにお話ししたいと思う。
それが少しずつ、ゴミ山の解決につながってくれたら・・・・・・。

もし、もっと知りたいと思ってくれた方がいたら、ゴミ山を援助している団体が日本にもいくつかあるので、インターネットで検索してみてほしい。
「ゴミ山 カンボジア」でたくさんの情報を見ることができる。
ゴミ山の麓にはゴミ山で暮らす子どもの学校もあり、ボラティアで経営されている。
子どもたちはほんの少しの教育の機会を活かそうと、みんな熱心に勉強している。
ゴミを漁る以外の生活手段を与えてようとしているボランティアもある。
いずれも今の私に出来ない活動をして下さっていて、頭が下がる思いである。