シェムリアップの地雷博物館は、元兵士であったアキラ氏が、ボランティアで自らが除去した地雷や不発弾などの展示をし、カンボジアの内戦の悲劇を伝えている。
カンボジアの内戦は1980年代まで続いていた。1991年、パリ会議でカンボジア和平協定が結ばれ、内戦が終結し、軍隊の武装解除、人権状況の監視、UNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)の設立が規定されたのは、今からたった17年前である。さらに1998年、民主政権の樹立をフン・セン首相が約束するまでに、幾度かのクーデター、首都プノンペンでの軍事衝突があり、カンボジア国民が平和に暮らしていけるようになったのはごく最近のことである。
特に、恐怖政治で有名なポルポト政権の折、1975年代から1979年までの4年間には国民の3分の1が処刑された。
カンボジアに来て、一番に感じたことは、物乞いが多くなったということである。
フィリピン・インドネシア・マレーシア・タイを旅してきてだんだんと姿を見ることが少なくなってきていた物乞いが、カンボジアにはまだたくさんいる。
そしてカンボジアで、物乞いをするほとんどの人は、体の一部が欠けている。
それは下半身であったり、腕であったり、顔がつぶれていたり、さまざまであるが、だいたいが地雷で体の一部を失い、健康に働くことができなくなった人々だということが、見てすぐにわかる。
物乞いをしている人は、体が欠けているからという理由で、働き口がなく生きていくために仕方がなく物乞いをしているのか、初めから自分で働くということをあきらめて物乞いとして生きていければいいと思っているのかはわからない。
痛々しく思っても、彼ら全ての人を救うことなんて、今の私には出来ない。
国が、彼らを救う政策をとっていくことを祈ることくらいしか出来ないのは本当に情けないことだ。
けれども、地雷のことを気付かなかったことのように生きていくことも旅をしていくことも、なんだか嫌だなぁと思う。
こんな現実が世界にあるのだということを、知って欲しい。
そして、あってはいけないことだとみんなに感じてほしい。
もちろん、その反対に、体の一部を失っても、懸命に働いている人もいる。
シェムリアップでは片足で道路の掃除をしている人もいたし、観光地で楽器を演奏してCDを販売している人もいた。それぞれが肉体が欠けても、人間として懸命に生きていこうと頑張っていた。
私は彼らの中に希望を感じて、なんだか救われたような気持ちになった。
アキラ氏の地雷博物館でも地雷で体の一部を失った孤児たちを育てている。
実際に文で読むよりも、写真を見た方がきっと地雷の悲惨さが伝わることと思う。
突然自分のからだの一部が吹き飛ばされてしまったら、家族の体の一部が吹き飛ばされてしまったらどう感じるだろう。
アキラ氏は戦争で自らが地雷を埋めていた。自らが人の命を奪っていた。
その償いになればと、今も地雷を取り除きつづけている。
おかげで、カンボジアの観光地と呼ばれる場所には地雷はなくなった。
それでもまだまだ田舎の方では被害が出る。
戦争が終わっても地雷によって、民間人に被害が出るのだ。
全ての地雷がなくなるために今も働き続けている人がいる。
一方で世界では未だに地雷を作り続けている国がある。
対人地雷ははじめは敵軍の移動を妨げるために作られ、後には味方の軍隊で怪我をしている人には、お金がかかり、死人は放っておけばいいという理由から、わざと味方を殺すためにも使われたという。
このような人を傷つけるために使われた兵器を作り続けていいのだろうか。
1997年カナダ、4年以内に対人地雷を廃棄することを約束させた(ただし、地雷除去や探知の練習のための地雷を残すことは許されている)オタワ地雷禁止令条約が結ばれ、現在、155カ国が加盟している。
ただし、このなかにアメリカ・ロシア・中国・インドは含まれていない。
アキラ氏は戦争中はなにも自分で選択することはできなかったという。
だから、当時の敵のことも「憎くはない。憎いと思えばまた戦争が始まる。自分と同じでただ選べなかっただけだ。」と語っている。
ここで私は、戦争では常に弱い立場にある人が被害にあうのだということを改めて思い知らされた。
そして戦後でさえ、何も悪いことをせずに地雷の被害に遭ってしまう世の中があるということも思い知らされた。
カンボジアの人には希望がある。
地雷は希望を奪ってしまうことがあるのだと、全ての人に知ってほしい。
地雷除去基金ホームページ CLMMRL www.cambodialandminemuseum.org
カンボジアの内戦は1980年代まで続いていた。1991年、パリ会議でカンボジア和平協定が結ばれ、内戦が終結し、軍隊の武装解除、人権状況の監視、UNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)の設立が規定されたのは、今からたった17年前である。さらに1998年、民主政権の樹立をフン・セン首相が約束するまでに、幾度かのクーデター、首都プノンペンでの軍事衝突があり、カンボジア国民が平和に暮らしていけるようになったのはごく最近のことである。
特に、恐怖政治で有名なポルポト政権の折、1975年代から1979年までの4年間には国民の3分の1が処刑された。
カンボジアに来て、一番に感じたことは、物乞いが多くなったということである。
フィリピン・インドネシア・マレーシア・タイを旅してきてだんだんと姿を見ることが少なくなってきていた物乞いが、カンボジアにはまだたくさんいる。
そしてカンボジアで、物乞いをするほとんどの人は、体の一部が欠けている。
それは下半身であったり、腕であったり、顔がつぶれていたり、さまざまであるが、だいたいが地雷で体の一部を失い、健康に働くことができなくなった人々だということが、見てすぐにわかる。
物乞いをしている人は、体が欠けているからという理由で、働き口がなく生きていくために仕方がなく物乞いをしているのか、初めから自分で働くということをあきらめて物乞いとして生きていければいいと思っているのかはわからない。
痛々しく思っても、彼ら全ての人を救うことなんて、今の私には出来ない。
国が、彼らを救う政策をとっていくことを祈ることくらいしか出来ないのは本当に情けないことだ。
けれども、地雷のことを気付かなかったことのように生きていくことも旅をしていくことも、なんだか嫌だなぁと思う。
こんな現実が世界にあるのだということを、知って欲しい。
そして、あってはいけないことだとみんなに感じてほしい。
もちろん、その反対に、体の一部を失っても、懸命に働いている人もいる。
シェムリアップでは片足で道路の掃除をしている人もいたし、観光地で楽器を演奏してCDを販売している人もいた。それぞれが肉体が欠けても、人間として懸命に生きていこうと頑張っていた。
私は彼らの中に希望を感じて、なんだか救われたような気持ちになった。
アキラ氏の地雷博物館でも地雷で体の一部を失った孤児たちを育てている。
実際に文で読むよりも、写真を見た方がきっと地雷の悲惨さが伝わることと思う。
突然自分のからだの一部が吹き飛ばされてしまったら、家族の体の一部が吹き飛ばされてしまったらどう感じるだろう。
アキラ氏は戦争で自らが地雷を埋めていた。自らが人の命を奪っていた。
その償いになればと、今も地雷を取り除きつづけている。
おかげで、カンボジアの観光地と呼ばれる場所には地雷はなくなった。
それでもまだまだ田舎の方では被害が出る。
戦争が終わっても地雷によって、民間人に被害が出るのだ。
全ての地雷がなくなるために今も働き続けている人がいる。
一方で世界では未だに地雷を作り続けている国がある。
対人地雷ははじめは敵軍の移動を妨げるために作られ、後には味方の軍隊で怪我をしている人には、お金がかかり、死人は放っておけばいいという理由から、わざと味方を殺すためにも使われたという。
このような人を傷つけるために使われた兵器を作り続けていいのだろうか。
1997年カナダ、4年以内に対人地雷を廃棄することを約束させた(ただし、地雷除去や探知の練習のための地雷を残すことは許されている)オタワ地雷禁止令条約が結ばれ、現在、155カ国が加盟している。
ただし、このなかにアメリカ・ロシア・中国・インドは含まれていない。
アキラ氏は戦争中はなにも自分で選択することはできなかったという。
だから、当時の敵のことも「憎くはない。憎いと思えばまた戦争が始まる。自分と同じでただ選べなかっただけだ。」と語っている。
ここで私は、戦争では常に弱い立場にある人が被害にあうのだということを改めて思い知らされた。
そして戦後でさえ、何も悪いことをせずに地雷の被害に遭ってしまう世の中があるということも思い知らされた。
カンボジアの人には希望がある。
地雷は希望を奪ってしまうことがあるのだと、全ての人に知ってほしい。
地雷除去基金ホームページ CLMMRL www.cambodialandminemuseum.org

