世界一周にでて、出会うものが一気に増えた。
例えばそれは生きものであったり、植物であったりする。
そして、世界一周中だと、人生でこの景色に出会うのは一度きりかもしれないと思うから、まじまじと観察してしまう。
例えば、バイクでのツーリング中に見事な夕日の景色に出会ったら最高に幸せだと感じるし、それを記憶にとどめようと一生懸命に眺め、さらには写真を撮ったりしてしまう。でも、地元の人々はそこにどんなにきれいな夕日があったとしても、毎日見れるものだとそれを真剣に記憶にとどめようなどとは考えないだろう。
するとやっぱり、同じ夕日をより感動して楽しめる人の方が幸せなのではないかしら。
そんな中でふと思う。
例えば、どこかで出会った花とその花の名前を結びつけて覚えてられたら、次に違う国で同じ花に出会ったときに「あ、この花覚えてるなぁ。確かあそこでは・・・・・・」と花のことだけではなく、その時感じた思いや、その時の行動や、さらには匂いまで、一緒に蘇らせることができるのではないだろうか。
名前を覚えるときにはもちろんその花を記憶にとどめないといけないから、きっとつぶさに観察をする。そうしたら、次に会った時にこの花は見たことがあるって思い出せるだろうな。
それはちょうど、名前を交換ししばらくお話をした人の顔は覚えることができても、名前を交換せずに通り過ぎていく人の顔を忘れていくことと同じようなことではないだろうか。
もちろん、名前だけをなにかと結びつけて覚えるだけでは全然意味のないことなのだと思う。
詰め込み受験と同じくらい意味のないことだと思う。
世界中の人々が森羅万象すべてに名前をつけたのは、人と語り合うため。
何かを思い出す記号として、思い出を語る道具として、名前はあるのではないかしら。
そして、もう一つの効能。
名前を覚えるために、じ~っと観察をすると生命の神秘に感動してしまうことが多々あるということ。
動物を見ても植物を見ても人間の手の届かない何かに支配されていることに気づく。
あらゆる動物、植物が微妙に支えあって生きている様子は、植物連鎖さえも奇跡だと思う。
なんだかちっぽけなことに悩んでるのがもったいないなぁ、と月並みに思えるような人を癒す力が自然は持っている。
蕾が必ず花を咲かせるように、夜は必ず朝になるように、そういう自然の確かさは人を安心させる力がある。
もちろん、名前など覚えなくてもじっと観察して、その花の特徴を覚えることができて、次にまたその花を見たときに思い出すことが出来たら十分なのだと思うけど、名前を覚えていたら人と語り合うこともできて楽しさ倍増なのではないかしら。
というわけで、私たちも名前を出来るだけ覚えたいものです。
もちろん名前を覚えることより、たくさんの生命の神秘に気付いてそのひとつひとつに喜べることのほうがずっと素敵なこと。
それは人生の最高の糧になり、楽しみの一つとなり、孤独を癒す優しさとなり、謙虚な心を育てていくのだと思う。
そのひとつの手段として名前を利用できたら素適だなぁ、旅の空の下ふと思った。

