カンチャナブリ戦争博物館

ここに示すのは歴史の一事実であって、すべてではない。
日本の第二次世界大戦にはもちろん悪い面ばかりではなく、植民地体制の打破ということに関しては良い面に動いたという事実もある。
良い面からも悪い面からも私たちは目を反らしてはいけない。
ここでは日本軍のために犠牲になった人たちについて書くことになるが、それだけだとは思わないで欲しい。

カンチャナブリの戦争博物館「JEATHミュージアム」に足を伸ばした。

この博物館は第2次世界大戦中にかけて日本軍によって行われた「死の鉄道」(泰緬鉄道)建設に関する遺品の展示・保存のために設立されたもの。映画「戦場にかける橋」のモデルともなった有名な橋だが、日本軍の輸送網切断のため連合軍の格好の標的となり、とくに多くの犠牲者をだしたところでもある。

JEATHミュージアムの名前の由来は、鉄道敷設の当事国である日本(Japan)、捕虜兵の国である(英国England,米国America、オーストラリアAustralia,オランダholland)、そして建設地となったタイ(THAILAND)のそれぞれの頭文字をとったものだそう。

泰緬鉄道、別名「死の鉄道」はビルマ・インド戦線へ軍需物資を送るための輸送路として計画された。この難工事には約三〇〇〇〇人の連合軍捕虜兵士、10万人以上のアジアの強制労働者(中国・インドネシア・ビルマ・マレーシア・インド・シンガポール・タイ)が投入され、捕虜1万6千人、アジア人労働者10万人のほとんどすべてが、熱帯のジャングルのさまざまな疫病にかかり、医療品の不足などで死亡しました。連合軍捕虜の死亡者の記録は、ほとんどが集められ共同地に埋葬されているが、名もなきアジア人労働者たちは今も密林に奥深く眠っている。

上記の文はJEATHのチケットカウンターに置いてある川上氏の案内文を要約させてもらった。
博物館内には、その他にも当時の捕虜の生活を伝える絵や数少ないが写真も飾ってある。
拷問の絵などは見ていて気分が悪く暗くなる。

その中で目を引くのが、日本の長瀬氏という方が坊主頭に丸めてお祈りをしている、彼がカンチャナブリの橋の袂に寺を建てた時の写真だ。
博物館の展示によると、彼は第2次世界大戦中、通訳士として鉄橋の工事にかかわり、コレラやチフスで死んでいく人々を見て心を痛めたそうだ。
そして、戦争に負け敗残兵として日本に帰る際には、タイの政府が食料を援助してくれて帰ることができ、タイに感謝したという。
日本に帰ってからも30度以上慰問に訪れ、日本でタイ人の学習の機会を作り、さらにタイで平和基金を作り、彼の教え子たちが今も貧しい子どもや学生に奨学金を出し続けているそうだ。
そして、鉄橋の下に慰問のため寺を建て、平和への祈りをささげた。
このお寺にはタイ人女性の協力者がいる。
彼女は慰問に国家は関係ないと長瀬氏に共鳴し、土地を無償で長瀬氏に明け渡したという。
私はそれを読んだときに、なんだか泣きたくなった。
ひどいことをしてしまった日本だが、タイ人の1人でも私たち日本人に慰問を許してくれるという。

戦争というのは人を人では亡くしてしまう。
正気であれば拷問など出来るはずないと私は思うのだが、極限まで追いつめられた戦争の状況下ではそういうことが多々起こりえる。

私たちはそういうことがあった事実を忘れてはいけないのだと思う。
戦争が決して起こらない為に、知りたくないような悲惨なことにも目を向けなければならないのだと思う。

博物館には長瀬氏の像が建てられている。
タイと日本を彼は私たち日本人みんなの代わりに結んでくれた一人なのだと思うと、自然に感謝の念が湧き起こった。