2007年12月アーカイブ

花の名前

世界一周にでて、出会うものが一気に増えた。
例えばそれは生きものであったり、植物であったりする。

そして、世界一周中だと、人生でこの景色に出会うのは一度きりかもしれないと思うから、まじまじと観察してしまう。
例えば、バイクでのツーリング中に見事な夕日の景色に出会ったら最高に幸せだと感じるし、それを記憶にとどめようと一生懸命に眺め、さらには写真を撮ったりしてしまう。でも、地元の人々はそこにどんなにきれいな夕日があったとしても、毎日見れるものだとそれを真剣に記憶にとどめようなどとは考えないだろう。
するとやっぱり、同じ夕日をより感動して楽しめる人の方が幸せなのではないかしら。

そんな中でふと思う。
例えば、どこかで出会った花とその花の名前を結びつけて覚えてられたら、次に違う国で同じ花に出会ったときに「あ、この花覚えてるなぁ。確かあそこでは・・・・・・」と花のことだけではなく、その時感じた思いや、その時の行動や、さらには匂いまで、一緒に蘇らせることができるのではないだろうか。
名前を覚えるときにはもちろんその花を記憶にとどめないといけないから、きっとつぶさに観察をする。そうしたら、次に会った時にこの花は見たことがあるって思い出せるだろうな。

それはちょうど、名前を交換ししばらくお話をした人の顔は覚えることができても、名前を交換せずに通り過ぎていく人の顔を忘れていくことと同じようなことではないだろうか。

もちろん、名前だけをなにかと結びつけて覚えるだけでは全然意味のないことなのだと思う。
詰め込み受験と同じくらい意味のないことだと思う。

世界中の人々が森羅万象すべてに名前をつけたのは、人と語り合うため。
何かを思い出す記号として、思い出を語る道具として、名前はあるのではないかしら。

そして、もう一つの効能。
名前を覚えるために、じ~っと観察をすると生命の神秘に感動してしまうことが多々あるということ。
動物を見ても植物を見ても人間の手の届かない何かに支配されていることに気づく。
あらゆる動物、植物が微妙に支えあって生きている様子は、植物連鎖さえも奇跡だと思う。
なんだかちっぽけなことに悩んでるのがもったいないなぁ、と月並みに思えるような人を癒す力が自然は持っている。
蕾が必ず花を咲かせるように、夜は必ず朝になるように、そういう自然の確かさは人を安心させる力がある。

もちろん、名前など覚えなくてもじっと観察して、その花の特徴を覚えることができて、次にまたその花を見たときに思い出すことが出来たら十分なのだと思うけど、名前を覚えていたら人と語り合うこともできて楽しさ倍増なのではないかしら。

というわけで、私たちも名前を出来るだけ覚えたいものです。
もちろん名前を覚えることより、たくさんの生命の神秘に気付いてそのひとつひとつに喜べることのほうがずっと素敵なこと。
それは人生の最高の糧になり、楽しみの一つとなり、孤独を癒す優しさとなり、謙虚な心を育てていくのだと思う。
そのひとつの手段として名前を利用できたら素適だなぁ、旅の空の下ふと思った。

カンチャナブリ戦争博物館

ここに示すのは歴史の一事実であって、すべてではない。
日本の第二次世界大戦にはもちろん悪い面ばかりではなく、植民地体制の打破ということに関しては良い面に動いたという事実もある。
良い面からも悪い面からも私たちは目を反らしてはいけない。
ここでは日本軍のために犠牲になった人たちについて書くことになるが、それだけだとは思わないで欲しい。

カンチャナブリの戦争博物館「JEATHミュージアム」に足を伸ばした。

この博物館は第2次世界大戦中にかけて日本軍によって行われた「死の鉄道」(泰緬鉄道)建設に関する遺品の展示・保存のために設立されたもの。映画「戦場にかける橋」のモデルともなった有名な橋だが、日本軍の輸送網切断のため連合軍の格好の標的となり、とくに多くの犠牲者をだしたところでもある。

JEATHミュージアムの名前の由来は、鉄道敷設の当事国である日本(Japan)、捕虜兵の国である(英国England,米国America、オーストラリアAustralia,オランダholland)、そして建設地となったタイ(THAILAND)のそれぞれの頭文字をとったものだそう。

泰緬鉄道、別名「死の鉄道」はビルマ・インド戦線へ軍需物資を送るための輸送路として計画された。この難工事には約三〇〇〇〇人の連合軍捕虜兵士、10万人以上のアジアの強制労働者(中国・インドネシア・ビルマ・マレーシア・インド・シンガポール・タイ)が投入され、捕虜1万6千人、アジア人労働者10万人のほとんどすべてが、熱帯のジャングルのさまざまな疫病にかかり、医療品の不足などで死亡しました。連合軍捕虜の死亡者の記録は、ほとんどが集められ共同地に埋葬されているが、名もなきアジア人労働者たちは今も密林に奥深く眠っている。

上記の文はJEATHのチケットカウンターに置いてある川上氏の案内文を要約させてもらった。
博物館内には、その他にも当時の捕虜の生活を伝える絵や数少ないが写真も飾ってある。
拷問の絵などは見ていて気分が悪く暗くなる。

その中で目を引くのが、日本の長瀬氏という方が坊主頭に丸めてお祈りをしている、彼がカンチャナブリの橋の袂に寺を建てた時の写真だ。
博物館の展示によると、彼は第2次世界大戦中、通訳士として鉄橋の工事にかかわり、コレラやチフスで死んでいく人々を見て心を痛めたそうだ。
そして、戦争に負け敗残兵として日本に帰る際には、タイの政府が食料を援助してくれて帰ることができ、タイに感謝したという。
日本に帰ってからも30度以上慰問に訪れ、日本でタイ人の学習の機会を作り、さらにタイで平和基金を作り、彼の教え子たちが今も貧しい子どもや学生に奨学金を出し続けているそうだ。
そして、鉄橋の下に慰問のため寺を建て、平和への祈りをささげた。
このお寺にはタイ人女性の協力者がいる。
彼女は慰問に国家は関係ないと長瀬氏に共鳴し、土地を無償で長瀬氏に明け渡したという。
私はそれを読んだときに、なんだか泣きたくなった。
ひどいことをしてしまった日本だが、タイ人の1人でも私たち日本人に慰問を許してくれるという。

戦争というのは人を人では亡くしてしまう。
正気であれば拷問など出来るはずないと私は思うのだが、極限まで追いつめられた戦争の状況下ではそういうことが多々起こりえる。

私たちはそういうことがあった事実を忘れてはいけないのだと思う。
戦争が決して起こらない為に、知りたくないような悲惨なことにも目を向けなければならないのだと思う。

博物館には長瀬氏の像が建てられている。
タイと日本を彼は私たち日本人みんなの代わりに結んでくれた一人なのだと思うと、自然に感謝の念が湧き起こった。

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